貧困は経済問題であるが、貧乏は心理問題である。
(中略)
貧乏とは、私が端的に何かを所有していないという事実によってではなく、他人が所有しているもの(それは私にも等しく所有する権利があるはずのものである)を私が所有していないという比較を迂回してはじめて感知される欠如である。
(中略)
誰でも他人の所有物を羨む限り、貧乏であることを止めることはできない。そしてたいへん困ったことに、資本主義市場経済とは、できるだけ多くの人が「私は貧乏だ」と思うことで繁昌するように構造化されたシステムなのである。(内田樹 熱風2007.6 「貧乏で何か問題でも?」)
周りに合わせて(踊らされて)、とりあえず手に入れたけれど熱が冷めると自分には必要なかったということはよくあったように思います。自分の価値観がよく分かっていなかった子供の頃のはなし。
先日の21_21 desigh sightのチョコレート展で、カカオを採取していても、チョコレートを食べたことがないというカカオ工場労働者たちの写真が展示されていました。しかし果たして、チョコレートを食べられない彼らは貧乏なのか?そもそも彼らはチョコレートを食べたいと思っているのだろうか?仮に食べたいと思っているとしても、チョコレート以外にも彼らにとって身近に手に入るものでおいしいものはあるはず。すべての人にとってチョコレートが同じ価値を持っていないことは、当たり前のこと。
甘いものを嫌いな人が自分のことを貧乏だとは思わないはずである。
自分にとって必要なものが分かっている人には、他人との比較で生じる貧乏とは無縁の存在である。
他者の欲望を模倣するのではなく、自分自身の中から浮かび上がってくる、「自前の欲望」の声に耳を傾けることのできる人は、それだけですでに豊かである。なぜなら、他者の欲望には想像の中でしか出会えないが、自前の欲望は具体的で、それゆえ有限だからだ。自分はいったいどのようなものを食べたいのか、どのような声で話しかけられたいのか、どのような肌触りの服を身にまといたいのか。そのような具体的な問いを一つ一つ立てることのできる人は求めるものの「欠如」を嘆くことはあっても、「貧乏」に苦しむことはない。(内田樹 熱風2007.6 「貧乏で何か問題でも?」)

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