2007年4月25日水曜日

Defying Gravityという信念

このブログのタイトルはDefying Gravity、直訳すれば重力に抗うという意味ですが、みんなが信じきっていることやこれまでの流れに疑問を投げかけ、自分自身の頭で考えた論理と信念を貫く、といった意味もあります。MITの石井先生もインタビューでそのようなことを答えていて、ブロードウェイミュージカルWickedでも重要なメッセージのひとつになっています。物事の本質を探るときにも、まったく新しいモノを創造するときにも、「本当にそうなんだろうか?」「別の考え方があるんじゃないか?」という視点は本当に重要なものだと思うのでポリシーとして持っています。Wickedでは、みんなができないと信じきっていることを否定して自分の可能性を信じること、権威に逆らうこと、そして、文字通りに重力に抗い飛び立つということにかかっていて、とても深いメッセージです。

もともと「挑戦的であること」を価値基準においている自分に取って、Defying Gravityはとてもハマる言葉でブロードウェイで、この言葉に出会ったことはとても意味があることのように思います。そして、この言葉に出会ってから仕事もこれまでの慣習に逆らう挑戦的なものになったし、突然持ちかけられる仕事の内容もいままでにないことをどうやるか?という内容になってきました。
やはり、目標と同じで言葉にして書き出し、いつでも見られる場所に置いておくことは、理屈ではなく本当に人間になにかしら作用するのではないか?と思います。

そして、もうひとつ書きたかったこと。尊敬する渡辺千賀さんのエントリで考えさせられたこと。

ルワンダの教訓は
「他人事ではない」
ということ。
頭がおかしい、強硬派、凶暴、狂信的、といった人たちではなく、昨日まで普通の社会生活を送ってきたごく普通の人たちが「一致団結してツチを絶滅させよう」というラジオの扇動で、次々に立ち上がって、どんな恐怖映画も顔負けの大量殺人を行う。
自分はそんなことはしない、と思いたいところだが、そういう風にタカをくくると、実際に異常な行動へと促す集団プレッシャーがかかったときに、それを異常だと認識するのが遅れるんじゃなかろうか。「みんながやってるからそうすべき」という「生活の知恵」を乗り越えるのは、実は結構大変なもの。
「集団の愚挙」の一部に自分がならないためには、「自分も愚かな行動をするかもしれない」ということを理解し、それと向かい合い、一つ一つの判断について、「これは本当に正しいか」と自問自答する訓練を続けないとならないのでは、と思います。大変ですが。


判断が遅れるという点については、誰に何を言われたとしても自分の中の拠り所となる信念を強く持つことが大切だと思います。そして、矛盾しているように聞こえるかもしれませんが「自分を信じない」ことも大事で、感情に動かされたり、本質を見抜けないことによって愚かなことをするかもしれない自覚を持ち、「本当に正しいのか」というDefying Gravityの精神で行動することが必要なのだと思います。

0 件のコメント: